園長の独り言
子育ち・子育て
湘南のおとなたち
2010-10-13
湘南学園では、子どもたちが育つ過程で、できるだけ多種多様なタイプのおとなが関わることが望ましいと考えています。老若男女、障害を持つ人も持たない人もお互いが存在を認め合い助け合って生きるという当たり前の生活を送っています。今、湘南学園には、短大を卒業したばかりの若者から、シルバー人材センターから派遣職員として来てくださっているお年寄りまで約90名の職員が三つの施設に分かれて働いています。なかには優しい人や厳しい人、明るい人や根暗な人、おっとりした人やあわてん坊、学業成績が優秀だった人もいれば、そうでなかった人もいます。いろいろなタイプの人たちがお互いにその違いを認め合いながら、それぞれの良さ活かし、個性を発揮して生活するようにしています。
また、人の障害の発生率は身体・知的・精神を合わせて約5%だと言われています。自分の身体のどこかにそれだけの障害があってこそ平均的な人であると理解すれば、健常者である私たちが本来持つべき数%の障害を引き受けてくれている人と共に助け合って生きることは、至極当然のことだと言えます。私たちも生まれたばかりの頃は、親のケアなしでは生きていけません。また、いずれ年齢を重ねるに従って手足が不自由になったり、目が見えづらくなったり、物覚えも悪くなったりしてきます。障害は決して特別なものではなく、誰もが持ちえるものなのです。むしろ個性の一つだと理解するほうが自然かもしれません。現在、湘南学園には知的障害者授産施設に通う人たちのほかにも、数名の障害を持つ人が職員として勤務しています。
子どもたちにもいろいろなタイプの子がいます。のんびりとした子どもの安心できる場所は、おっとりした職員の膝の上です。私たち湘南のおとなは、常にあるべき姿を持たず、あるがままを認めることができる人でありたいと思っています。『子どもはおとなの後姿を見て育つ』と言われていますが、それぞれの違いを認め合って生活するおとなの後姿から、口では伝えきれない多くのことを学びとってくれるに違いありません。「大きくなったら○○さんみたいな保育士になりたいなぁ〜」「間違っても△△さんみたいにはなりたくないな!?」など……、おとなが子どもに示す後姿は、様々であればあるほどいいと思っています。
選択と責任
2010-10-05
私たちおとなは、子どもたちにどれだけの選択権を保障できているでしょうか?
子どもの施設に限らず、他人同士が共同生活する福祉施設においては、集団としての統制や管理面を優先するあまり、本来、一番大切にするべき入所者の主体性を無視して規則や決まりで拘束してしまいがちです。湘南学園では子どもたちが生活の場面でも、強制あるいは強要するのではなく、できるだけ選択する機会を与えて、選んだことに対してのみその責任を果たすようにしています。
例えば食事。当然のことながら、自分の食べる量は自分で決めるようにしています。自由にお変わりをするができます。体調の優れない時や食欲のない時には、食事の量を少なくするなどリクエストもできます。その上で、残食をしないように指導しています。また、例年、夏休みを利用して集団生活を通して協調性や自律性を培うことを目的に「グループトレーニング」を実施します。「歩いて琵琶湖一周しよう」「無人島でキャンプ生活しよう」「湘南バス(法人所有のマイクロバス)で日本中を旅しよう」等々、そして最後に必ず「何もしたくないグループ」を選択肢の一つとして用意して、このおとなが企画したグループトレーニングを子どもたちにプレゼンテーションして参加を募ります。グルーピングができたら、数回の事前ミーティングを経て実施します。自分で選んで参画したからには途中リタイアは許しません。「自分で選んだのだから、諦めないで最後までやりきろう!」と励まして達成感を共有するようにしています。
選択と責任を考える時、忘れてはならないことがあります。それは、児童養護施設への入所を余儀なくされる子どもたちは、みんな自らの意思とは無関係に、無理やりに連れて来られているという事実です。子どもたちは、施設で生活することを選んでいないために、ある日突然、それまでずっと一緒に暮らしてきた親と離れて施設で集団生活しなければならなくなったことを納得できず、何日間も泣いた後、諦めからしか再スタートできません。選択したことについてのみ責任が生じます。故に自らの選択で就職した私たち施設職員は、そのことを踏まえた上で、子どもたちとの生活を考えていく必要があるのです。
食べることと寝ること
2010-10-04
私が湘南学園の子どもたちと出会って驚いたことの一つは、子どもたちの食べ方と寝方の特徴です。チャイムの合図によって食堂に集まった子どもたちは、全員が揃うのを待って、予め配膳された料理を「いただきま〜す」と言うや否やかき込むように食べだします。とても味わって食べているとは言い難いほどのスピードです。ご飯もおかずも1人ずつ個々の器に盛り付けられているので、早く食べないと誰かに盗られてしまうということはありませんが、どの子も一様に急いで食べていました。楽しく会話を交わす様子などは見受けられません。「食事」というより「食餌」という漢字を当てた方がピッタリとくる食べ方です。また、満たされない気持ちを食べることで補うべく、異常なほどの量を摂る子どもも少なくありません。そのためか肥満体型の子どもが目立ちました。そこで、食べることの大切さを再認識するため、子どもたちとも話し合って食べ方を見直していきました。まず10人くらいの年齢縦割りのグループを作ってグループ毎に食べるようにして一斉の食事をやめました。テーブルクロスをかけ、季節の花を飾ってBGMを流し、和気合いあいと食べる演出をしました。「いただきます」は食べる合図ではなく、感謝の言葉であることも伝えました。
一方、寝ることに関して、子どもたちに添い寝をしていて気付いたことがあります。それは、ほとんどの子どもたちが、うつ伏せかあるいは背中を丸めてお腹を隠すように寝ているということです。しばらく見ていると、一時的に寝返りをうったりして仰向けになることもありますが、すぐ元のように背中を丸めてしまいます。また、夏場であるにもかかわらず、布団を顔まで被って汗をかきながら寝ている子どももいました。その顔をよく見てみると、汗ではなく涙の流れた後に気付くこともしばしばありました。夢の中で泣いているのです。湘南学園に就職して以来ずっと不思議に思っていたことの一つ、眼の病気があるわけではないのに、朝、目やにの目立つ子どもが多い訳がわかりました。施設見学に来られた方々は「子どもたちがみんな明るく元気で安心しました。」と言ってくださいますが、施設での生活を強いられる子どもたちは、普段、おとなでも背負いきれないほどの荷物を背負いながらも表情には出さずに精一杯生きているのです。しかしながら、無意識の睡眠状態の時、親と一緒に暮らせない寂しさや無念さなど子どもの心の声が表出してしまうのでしょう。
食べ方と寝方をチェックすれば、そのときの子どもの心の状態が解ります。子どもたちが落ち着いた雰囲気の中で楽しく食事ができ、安心してお腹を出して眠れるようにすることこそ、児童福祉施設を自らの職場に選択した私たち職員の最低限の責務であると再認識し、それ以来、湘南学園では「食べることと寝ること」を生活の中心に据えて拘りながら暮らすようにしています。
施設にも家庭機能を…
2010-10-02
物的環境だけではなく人的環境にも家庭に近い環境を用意しました。1軒の子どもの家には、男女混合・年齢縦割りで構成する約10人の子どもたちにその家を担当する職員1人、そしてお年寄り或いは障害を持つ方1人の計12〜3人が生活するようにしました。お年寄りと障害を持つ方は一般公募し、おばあちゃん1人と知的障害を持つ男性1人と女性2人の3人が応募してくださり、6軒の子どもの家とお見合いののち、それぞれ生活する家を決めました。
一般的に家庭で育つ子どもは成長する過程で祖父母との別れを経験しますが、児童養護施設で育つ子どもたちは、入所対象児が1〜18歳であることや、職員も定年になると退職していくので、施設には1〜60歳の元気な人ばかりが生活していることから「人の死」に出会う機会はほとんどありません。そこでお年寄りの方に一緒に生活していただくことで、最期に人の力の及ばない「永遠の別れ」ということを子どもたちに伝えていただこうと思いました。また、障害を持つ方と生活を共にすることで、子どもたちの持つ潜在的な優しさや思いやりを引き出して欲しいと願いました。
各家を担当する職員は、いわば母親的な役割を果たします。ところがどの職員も大学や短大で児童福祉について学んできてはいますが、改めて「お母さんの仕事」について考えた時、意外に無知なことに気付き「主婦業研修」と銘打って、地域のご家庭に協力していただいて主婦業について学びました。この主婦業研修をして再認識したことは、お母さんの仕事はその約6割が食べることを通して家族と関わっているということでした。「朝ごはん出来たわよ〜」と子どもを起こし、お弁当を持たせて学校に送り出します。帰宅したらすぐにおやつ、その後は夕食の買い物にその準備と後片付け……。6軒の子どもの家ごとに担当職員が子どもと一緒に近くのスーパーに食材を買いに行き、調理して食べることにしたのは、この研修の気付きからです。
湘南憲法以外にも、それぞれの家での生活ルールについて話し合い、食事のとり方や門限などが決められていきました。夕食のメニューも区々です。お小遣いの額も家によって違います。町内の自治会や子ども会にも1軒ごとに加入しました。組長を務めた家もあります。私たちは擬似家庭をつくろうとしたのではなく、家庭の持つ機能を施設生活に最大限に取り入れていく努力をすることで「もうちょっとちょうだい」や「いや」ということが言える当たり前の生活を目指したのです。
子どもの家の建設
2010-09-30
次に大舎制の寮形態での生活を見直しました。子ども13人とおとな5人で「建設委員会」を組織し、新しい家作りについて議論しました。とは言え「家」については全くと言っていいほど知識のない子どもたちに意見など言えるはずがありません。そこで、ペンションに泊りがけで出かけたり、モデルハウスを見学したりすることで、ある程度「家」についての知識を得るようにして、自分たちの生活する家作りについての夢がもてるように働きかけました。また、実施設計はプライバシーを守るという観点からラブホテル専門の設計士さんにお願いし、建設委員会にも参画していただきました。そして1984(昭和59)年、待望の6軒の「子どもの家」が竣工しました。木造の2階建、中学生以上の個室、居間の吹き抜け、階段のステンドグラスなどは子どもたちの意見がかたちになったものです。
また、新しい子ども家での生活には、可能な限り家庭機能を取り入れるようにしました。その結果、個室で1人で泣けるようになりました。友だちを家に連れてくることができるようにもなりました。食事はそれぞれの家で調理して食べます。家計を家ごとに独立させたことで、6軒の子どもの家に貧富の差も出来てきました。でも貧しい家の子どもたちは、余分な電気を消すなど工夫して節約することを覚えました。どれもこれも当たり前のことですが、当時の施設生活においては画期的なことでした。