園長の独り言
子育ち・子育て
しょうなんの保育
2010-12-09
開園時間は、午前6時から午後10時までの16時間です。この時間以外にも必要に応じてお預かりします。シングルで子育てをされている親の当直勤務の間や第2子出産或いは病気治療のための入院期間などには宿泊でお預かりしたこともあります。
保育の家しょうなんは、家庭機能を可能な限り取り入れた保育環境を整え、『育ち合う、自分らしさが輝くおうち』をスローガンに安全・安心・安定の保育を提供しています。人的には、保育や事務・調理担当職員のほかにシルバー人材センターや法人内の知的障害者授産施設からの派遣職員を採用し、お父さん・お母さん・お兄さん・お姉さん・おばあさん・おじいさんや障害を持つ人までがお互いに協力し合いながら、子どもたちと楽しく保育園生活をおくっています。一方、物的には、園舎を一軒の大きな家というコンセプトで建設して、食堂と保育室とお昼寝部屋などをその用途に応じて使い分けるなど、家庭的な雰囲気を感じとることができる環境を整えています。そして、その園生活の中では、子どもとおとなが共に育ち合うことを実現するために、各年齢担当の職員だけがその年齢の子どもたちと関わるのではなく、縦割り保育の時間や休日保育・夜間保育などの時間を通して、全ての職員が全ての子どもたちと関わるようにしています。一人でも多くの違う個性を持つ人との関わりの中から、より多くのことを学びとって欲しいと願っています。
また行事の際は、子どもたちが主体的に参画することに重きを置いて、決して子どもたちに強要することのないように配慮し、毎日の園生活の中で楽しく取り組んでいることを行事につなげていけるようにしています。子どもたちの中には、走ることが得意な子どももいれば苦手な子どももいます。人前で歌ったり話したりすることが嫌な子どももいて当然です。運動会や生活発表会などの行事では、決して無理強いするのではなく子どもたちのやる気を起こさせる保育を実践していきたいと考えています。
開園の動機
2010-12-01
今回は、私が園長を務めております「保育の家しょうなん」を紹介させていただき、子どもの育ちと子育て支援について考えてみいたと思います。
保育園と同一敷地内に児童養護施設湘南学園があり、現在ここで生活している未就学の子どものうち約半数は、「誰か」が「どこか」でそのご家庭をちょっと支えることで、施設入所に至らなかったのではないかと考えられるケースです。また、男女雇用機会均等法が制定施行されたにもかかわらず、女性が子どもを産んだ後の社会的援助が充分ではないためか、今もなお子育てのために仕事を辞めざるを得ないというケースも少なくありません。そこで、1989年(平成元年)4月、保育の家しょうなんがその「どこか」になり、家庭崩壊・母子分離・親の放任・虐待などによる養護児童を未然に防ぎ、地域の子育て家庭を支える役割を担う保育園として30名定員で開園しました。開園後20年経った今は、地域の待機児童を積極的に受け容れるために、その定員を3倍の90名に増員して100名を超える子どもたちをお預かりして保育しています。
貧富の差
2010-11-18
児童養護施設で暮らす子どもたちの教育や生活全般に必要な経費は、国と県から支弁される「措置費」で賄っています。湘南学園では、それを年齢単価を決めて各家の子どもの人数と年齢により算出された額を、毎月末6軒の子どもの家の通帳に分けて振り込み、その中で食費や水道光熱費から学校集金や子どもたちのお小遣いに至るまでの全ての生活費を遣り繰りする「家費制度」により運用していました。そのことで、子どもたちのケアを担当する児童指導員や保育士に会計処理などの事務仕事を負荷してしまうことになりますが、それをできるだけ子どもたちの見えるところで行い、自分の家の財政状況や自分たちが生活していくためにはどれくらいのお金が必要であるかということを伝える機会にしたいと考えました。食材の買い物も業者から一括して仕入れるのではなく、多少不経済でも毎日子どもと一緒に近くのスーパーマーケットへ行くことで、調理するのに必要な食材とその価格、また利口な買い物の仕方など将来の自立に備えた知識や生活の知恵などを伝えたいと思いました。
この家費制度による生活を始めて数ヵ月が経った頃、6軒の子どもの家の間に貧富の差ができてきました。担当する職員の遣り繰りの上手下手や子どもの食べる量、また学習塾や空手などの習い事に通う子どもの有無などにより、お金持ちの家と貧しい家の差がはっきり表れてきたのです。月末になると、貧しい家の子どもたちは粗食に耐えねばなりません。急場は翌月の家費を前借して何とか乗り切る家もありました。一方、お金に余裕のある家は、近くのファミリーレストランに外食に出かけたり、お金を貯めて東京ディズニーランドに旅行した家もありました。見るに見かねて、何度もその貧しい家に補填すべきではという意見も出てきましたが、あえてそれはせずにしばらくの間、見守っていました。
「水道代や電気代が安くなれば、夕食のおかずがもう一品増えるかも?」「お小遣いを値上げしてもらうために贅沢は敵だ!」。貧しい家の子どもたちには、水を出しっぱなしで歯磨きをする子はいません。無駄な電気は、子どもたち自ら消して歩くようになりました。真っ暗な居間でテレビを見ている子どもたちに「目が悪くなるから、居間の電気だけは付けさせてな」とおとなが子どもに頼む始末です。夏場には、朝、登校前に湯船に水を入れて、夕方、帰宅後に沸かすとガス代が安くなるなど、子どもたちなりに工夫して生活するようになり、おとなから強制されなくても自ら節約するようになりました。
児童養護施設で生活する子どもたちは、原則18歳になると施設を出て自立していかねばなりません。「施設で育ったから知らなかった」と言うことがないような生活環境を整えることは、福祉施設に勤務する私たち職員の責務だと痛感しています。
いただきま〜す
2010-10-28
大舎制の寮生活をしている頃は、食事の時間になるとチャイムが鳴り、子どもたちは一斉に自分たちが生活している寮とは別棟の大きな食堂に移動して、全員が揃うのを待って「いただきま〜す」という合図の元で食事を始めていました。文字通り、この頃の「いただきます」は食事を開始する単なる合図でしかありませんでした。その後、新しい子どもの家での生活に移行してからは、60人の子どもたちが6軒の子どもの家に別れて、それぞれに食卓を囲んで食事をとるようにしました。当時、私の担当していた家は、みんなが食卓につくとそれぞれに「いただきます」と合掌して食べ始めていましたが、中学生のなおやくんはこれまで「いただきます」を一度も言ったことがありません。なおやくんには学園を卒園するまでには黙って食べ始めるのではなく、「いただきます」と言えるようになって欲しいと願っていました。また、他の子どもたちにも「いただきます」は合図ではなく、感謝の言葉であることも伝えておきたいと思っていました。
ある日の食卓に「秋刀魚の開き」が並びました。珍しくみんな揃っての夕食です。今日がチャンスだと思って話をしました。「これは秋刀魚っていう魚やで。ついこの前まで海を元気に泳いでたんや。そやけど、俺たちの命を明日につなぐために死んでここに来てくれたんや。食べる前に言う『いただきます』や食べた後に言う『ごちそうさま』はそんな秋刀魚さんに対する感謝の言葉なんやで。魚だけやなくて、いつも口にしているお肉や野菜やお米にも命があって、人間はその命をもらって生きているんや。俺たちはいろんな命の代表選手なんやで。そやし、命を粗末にしたらあかんのや……」
その日以降もなおやくんは相変わらず黙って食べ始めていました。3歳になったばかりのまことくんは「いただきます」とは言う代わりに「牛さん、お米さん死んでくれてありがとう!」と言うようになってしまいました。でもなおやくんもまことくんも、今はその意味が理解できなくても、自分が親になった時、きっと自分の子どもには「いただきます」が言える子に育って欲しいと願うはずです。子どもの理解はとても滞空時間の長いものなのかもしれません。そのなおやくんも今では36歳です。学園を卒園してから一度も会ってはいませんが、今頃いいお父さんになり、黙って食べ始める我が子に向かってひときわ大きな声で「いただきま〜す」と言っているに違いありません!?
小犬の裁判
2010-10-17
湘南学園が、100以上もの規則や決まりで子どもたちを管理していたそれまでの生活を見直し、「強い立場の者が弱い立場のものを侵さない」という『たった一条の湘南憲法』の下での生活を始めた頃のことです。
それまでは、学園内で生き物を飼うことは規則で禁じられていましたが、全ての規則を廃止したことにより、何人もの子どもたちが、学園の隣にある竹やぶに隠していた犬を連れてきたり、もらってきたり拾ってきたりして、思い思いに犬を飼いだしました。こうなることは、ある程度は予測していましたが、気が付けば飼い犬の数が27匹にもなり、餌代が嵩むばかりではなく、衛生面を気遣う職員たちからの規制を求める声や夜間の遠吠えに対する近所からの苦情なども頻繁に寄せられるようになり、学園として何らかの対応を迫られていました。当初は、生き物を飼育することで、本来子どもたちが持っているやさしさや思いやりの心を引き出すことができるのではないかと考えて奨励していましたが、この事態にはそうも言っていられません。まず、子どもたちと話し合うべく招集をかけたところ、11人の飼い主たちが集まりました。以後、幾度となく子どもとおとなの間で押し問答が続きましたが結論には至らず、「学園内で飼う犬は、各家1匹の4匹が妥当」と主張するおとなと「最低でも1人1匹を飼うことを認めて欲しい」という子どもの間で、園長をはじめ第三者を含む7人の裁定委員に判断を委ねる『小犬の裁判』を開廷することになりました。
まずは、おとな側から「犬の餌代が馬鹿にならない」「ご飯を食べた茶碗で犬に餌をやっている子どもがいて衛生上良くない」「夜、一斉に吠えることがたびたびあり、近所に迷惑をかけている」「飼い犬の数は一軒に1匹が一般的だ」などと犬を減らすことを訴えている理由を説明した後、子どもたちが「飼ってもいいと言うから飼いだした」「自分たちはきちんと世話をしている」「犬が増えたのは結婚したから仕方がない」などと自分たちの正当性を主張し、2時間に及ぶ議論の後、結論を裁定委員に委ねました。
園長を含む7人裁定委員は、県職員・新聞記者・自営業などの方々で、いずれも日頃から学園にボランティアとして関わってくださっている方たちです。「今さら保健所へ犬をやるくらいなら、最初から許可すべきではなかった」「捨て犬の中に自分を見ているような、あの子達の気持ちを考えると…」。別室で約30分の議論の後、「よく世話をしていると認められる9人が1人1匹ずつ、計9匹を飼うことを認める。あとの2人については、しばらく様子を見て決定する。どの犬を飼うことにするかはそれぞれが決め、名前と共に園長に報告すること。残りの16匹については、月末までおとなと子どもが協力してもらってくれる人を探し、それが不可能な時は、翌月1日付けで保健所へ引き渡すこととする。」という結論がだされました。
後に、このエピソードを児童文学作家の今関信子さんが題材として取り上げられ、童心社より「小犬の裁判始めます」という本として出版されて、第34回課題図書に選ばれました。