園長の独り言
子育ち・子育て
思いやりの心
2011-05-13
3月11日(金)午後2時46分、東北地方太平洋沖地震が起きたとき仙台空港にいました。前日に仙台市内で開催された「保育施設における子どもの権利保障を考える委員会」に出席し、この日、仙台空港を午後3時35分に出発する大阪伊丹便に搭乗するため、空港に着いたばかりのことでした。突然、これまで体験したことのない縦横激しい揺れの地震に襲われ、ターミナルビルは荷物や売店の商品などが散乱し、ガラスが割れ、スプリンクラーが作動して大パニックになりました。長い揺れが収まるのを待ってビルの外に避難しました。1,000人を超える人たちがようやく避難したころ「大津波警報が発令されました。すぐにできるだけ高い場所に避難してください。」というアナウンスが流れ、再びビルの3階に移動しました。しばらくすると海側から途轍もない大きな津波がやってきました。大津波は建物や車やコンテナなどを見る見るうちに飲み込んで通り過ぎ去っていきました。とても現実とは思いがたい光景でした……。
それから丸2日間に亘る電気や水などのライフラインが断たれた被災生活が始まりました。食べるものは空港の売店の商品!?(かまぼこや仙台銘菓など)を配給していただきました。停電のため、電灯がつかないだけではなく、情報も遮断されてしまいました。携帯電話も電源が切れると充電することができません。日が暮れると徐々に気温も下がり、夜には零度を下回っていたと思います。深々と冷え込むという表現がピッタリとくる感じです。空港にあった毛布がお年寄りや女性の方々を優先に配られましたが全員には行きあたりません。私は搭乗口付近の椅子をねぐらにすることにしましたが、空腹よりも寒さに耐えるのが辛く、とりあえず持っていた服は全部着ました。ゴミ袋を足から履いて寒さを凌ぎましたが、じっとしていられなくて、空港内に設置された対策本部のスタッフに混ざって体調不良を訴える方や年寄りの方々の支援や救援物資の運搬のお手伝いなどをして気を紛らしていました。翌日から、救援のバスが不定期に到着し、お年寄りや子ども連れの家族の方々から先に、仙台空港から名取駅など最寄りの駅まで移送してもらいました。最後に私が空港を出たのは、地震発生後47時間余り経過した13日の日曜日の午後でした。その後、バスやタクシーを利用して、仙台駅から山形駅を経由して新潟空港に行き、翌14日の月曜日の夜に保育園に戻ってきました。
この間、想像を絶する被災の現場を目の当たりにし、わずか4日間で2?も体重が減るほどの被災生活を経験しましたが、一方で心温まる思いやりの心に触れる2つの出来事がありました。1つ目は、後日報道もされていましたが、日本人のモラルの高さです。ターミナルビルに散乱した商品を片付ける人はいても略奪する人には出会いませんでした。あるスーツ姿の男性は、誰もいない売店のカウンターにお金を置いて煙草を買っていました。また、配給される物を受け取る時や救援バスに乗り込む際もきちんと列を作って待ち、文句を言う人は1人もいませんでした。もう1つは、空港職員や航空会社の社員の方々の親切でかつ献身的な応対です。おそらく地元の方であれば、自分の家が津波に流され、家族の安否さえもわからない状況のなか「みなさん大丈夫ですか?具合の悪い方はおられませんか?」などと終始私たち旅行者のことを気遣ってくださいました。今回いただいたプロ意識を超える人としての大きな思いやり心に言葉で言い尽くせない感謝の気持ちでいっぱいです。空港を後にするとき見送ってくださった空港職員の方に「ご自身も大変な状況のなか、本当によく世話をしていただいてありがとうございました。」とお礼を言ったとき、目にいっぱい涙を浮かべておられたお顔を一生忘れることはありません。
末筆になりましたが、この地震による未曾有の震災・大津波によりお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、被災されて避難所での生活を余儀なくされている方々、またそのご家族に対しまして心よりお見舞い申し上げます。
社会の福祉化・福祉の社会化
2011-04-23
1987(昭和62)年11月8日に『抱きしめてBIWAKO』というイベントが開催されました。これは、滋賀の福祉関係者が重症心身障害児施設「第一びわこ学園」の移転新築工事の資金援助をするために企画したもので、この日の正午に1,000円を持って琵琶湖岸に集まり、みんなで手をつないで湖周240kmある琵琶湖を抱きしめようという企画でした。結果、メッセージを含めて約264,000人の参加を得て成功裡に終了したこのイベントが、多くの人々にとって福祉について考える機会となりました。湘南学園からもほとんど職員が何らかのかたちでこのイベントに参画し、これを契機にこれからの福祉のあり方についての議論が始まりました。参加受付を開始して2〜3ヵ月間は、企画当初の「重い障害をいくつも併せ持つ子どもたちの施設をつくるための福祉活動だから、みんな協力して当たり前」という福祉関係者の天動説とも言える考え方は見事に打ち砕かれ、参加申し込みは予定数の3分の1以下でした。最終的には自治会や生協・労働組合、そして行政などの後押しを得て、何とか一定の成果を収めることができましたが、福祉と社会の意識の違いを思い知る結果となりました。
今、介護保険制度の施行や企業のボランティア活動の推進、公共建造物のバリアフリー化など、社会は福祉化に向かいつつあります。私たち福祉関係者は、この流れに乗り遅れることなく、福祉の社会化に努めなければなりません。自らの勤務する施設の利用者のケアのみに止まらず、地域福祉活動にも積極的に取り組み、子どもやお年寄り、また障害を持つ人たちを支える地域を再生していくことこそ、私たち福祉に携わるものの責務だと考えています。
あるがままを認めることから
2011-04-19
「もう○○歳になったんだから、××くらいはできないと…」「母親なら(父親なら)△△して当たり前でしょ!」「福祉の施設職員たるもの□□あるべき」など、私たちはややもするとあるべき姿を必要以上に強く持ち、それを他人に強要してはいないでしょうか? 特に福祉現場においては、そのことが子どもの育ちや障害を持つ人の成長、またよりよい信頼関係の構築を阻害する大きな要因になっているように思えてなりません。あるべき姿に囚われているばかりに、相手の立場や気持ちを理解できずに関係を崩してしまうケースも少なくありません。考えてみれば、私たちの持っているあるべき姿は、各々がこれまで生まれ育ってきた環境や経験に基づく主観的なもので、正当な根拠などないことがほとんどです。
湘南学園では、職員研修のコンセプトの一つに『あるべき姿を持たず、あるがままを認めることから』を掲げています。子どもや障害を持つ人、或いはその保護者の方々や同僚たちと接する際、あるべき姿に当てはめようとするのではなく、その人のあるがままを認めることから始めように心がけています。
例えば、保育現場では、子どもの実年齢と発達年齢に若干の差があることはよくあることです。ところが保育者がその差を受容せずに、同じ年齢だからという理由だけで画一的に保育してしまうと、子どものやる気や自己肯定感が育ちにくくなってしまいます。また、保護者に対しても10人の親がいたら10通りの子育て観があることを承知した上で対応しなければ、よりよい関係は構築できません。子どもたちには、あるがままの姿を認めるおとなの後姿から、お互いの違いを認め合うことの大切さを学んで欲しいと願っています。
いろいろな人がいてこそ社会
2011-04-13
私たち福祉の仕事に携わるものの共通の最終目標は、利用者の『自立』だと言っても過言ではありません。湘南学園では、子どもたちや障害を持つ人たちが施設を利用していただいている間に、近い将来、社会で自立した生活をおくっていけるように援助することこそ、私たち福祉職員の使命だと考えています。自立した社会生活をおくるために必要な知識や経験は様々ありますが、そのベースとなるものが「共に生きる」という考え方だと思っています。自立を目指すとは言え、人は一人では生きていくことはできません。社会で当たり前に暮らしていくためには、いろいろな人たちと共に生きる術を身につけておく必要があるのです。
そのことを伝える手段の一つとして、社会にいろいろな人がいるように湘南学園の中にもいろいろな人がいるようにしています。その環境のなかで生活することで、老若男女・障害のある人もない人もお互いを認め合いながら、共に生きることの大切さを感じとって欲しいと願っています。
とかく福祉施設は地域社会と遊離しがちです。その昔、商人たちの間では、障害を持つ子どもが生まれたら、商売の神様を授かったとみんなで大切に育てていたと聞きます。七福神もおそらくいろいろな障害を持つ人たちではないでしょうか? ところがいつからか私たちは、ケアする職員の都合を優先したためか、子ども・お年寄り・障害を持つ人たちをそれぞれ別にしてケアするようにしてしまっています。なかでも障害者やお年寄りの施設は街中から離れた場所に多いように思えてなりません。福祉の受け手である障害を持つ人やお年寄りの方々はいつもしてもらってばかりではなく、自分も誰かに何かをしてあげたいと思っています。福祉施設を中心にした街づくりが、失いつつある地域共同社会の再生につながるものと確信しています。
また「開かれた施設づくり」を施設の目標としていること自体、施設を開いていない証拠です。そこで湘南学園では、子どもの施設に加え、障害者施設をつくって共に助け合い、また補い合いながら暮らし、施設を囲む垣根や塀を取っ払い、誰もが自由に行き来できるようにしました。このなかで生活するおおよそ200人の利用者と100人の職員もその年齢・性別・性格は様々です。このように誰もが自由に行き来でき、いろいろな人がいる環境で共に生きることの実践が、子どもたちや障害を持つ人たちの自立につながることを願っています。
くらすこと
2011-03-23
社員さんには、れもん会社でしごとをしてもらうことと併せて、自立した生活をおくるために必要な力をもつけてもらいたいと思っています。そのために様々な取り組みを行っていますが、その一つが「自活体験」です。月に一度、れもん会社から徒歩10分くらいの距離にある法人の所有する「スペースハウス」という一軒家を利用して行っています。メンバーは、毎月選抜する社員さん3名と職員3名の計6名。午後4時のしごと終了後に移動し、食事の買い物から調理・後片づけ、入浴・掃除・洗濯などを生活全般を自分たちで行い、翌朝にれもん会社へ出勤します。その他にも「土曜レク」と呼んでいる余暇活動などを通して、社員さんが地域社会で当たり前に暮らすことができるように最大限の生活支援をしていきたいと思っています。